明治後期のマッチ       (多謝・仁戸田さん)

日本でマッチが商業的に作られたのは明治8年といわれています。
明治後期になっても輸入品があったようです













「火柴」とは、中国語でマッチのことです。






マッチは火打ち石より便利な道具ということで、新しい火打ち石を意味する、新燧(しんすい)と表現されることもあったようです。
マッチのデザインがなんとなく外国っぽいのは、輸入マッチのデザインをそっくり真似ることからスタートしたからと思われます。


















「大清国」は今の中国のこと。中国からマッチ(火柴)を輸入して、小分けして販売したのでしょうか?






日本独自のデザインのものも出てきます。








「発火保険」というのは、このマッチで火災になった場合には保険金が出ます、
という意味ではなく、マッチがマッチらしく発火することを保証するという意味。

「全勝」というのも、全部のマッチが発火するということを表したものと思います。







そして、広告宣伝を目的としたマッチが出てきます。









帝国ホテルの設計者フランク.ロイド.ライトは建物だけでなく、
帝国ホテルの設備や食器までデザインしたと言われますが、さて、
フランク.ロイド.ライトはマッチもデザインしたのでしょうか?




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